海に焦がれる碧い書斎

感想、考えたことの記録

醜いからこそ今がある

 

※この文は仮面ライダージオウの映画Over Quartzer(以下OQ)やテレビ放送最終回のネタバレをふくんだ雑記となっております。

 

 

 

OQが好きすぎて、夏。

 

何が好きって「なかなかイカれてる内容なのにメッセージ性も強くて励まされるところもある」んですよね。

私はもともと「ぶっ飛んだ表現するけど間違いなく熱意はある」みたいな作品が好きな傾向があり、OQも間違いなくその枠に入ります。

 

そしてこれを書いている今はジオウの最終回の放送を遂げたところ。個人的にはテレビ放送はループEnd、それも少しずつ良き未来へ進むズレが発生するタイプでゆくゆくはOQのルートへたどり着く、みたいな解釈で私は落ち着いています。

 

さてこの作品は記念作としてだけでなく、主人公が未来のために・大切な仲間とともにいるために足掻きもがき進む姿も惜しみなく描かれています。普通の男の子が背負うにはあまりにもデカすぎる宿命を前にしても今や未来に想いを馳せるところには、個人的にグッと来ちゃいますね。

 

昨今の様々なコンテンツにおいては、より長く居続けるためにいろんな策を取っています。そしてその手段は間違いなく「100%ファンにウケることは無い」でしょう。だって人間だものみんな一人一人違う生き物だから受け取り方が異なって当然です。

正直私も「あぁそっか……こういう方法をとるのか…」と考えるときもあれば、秒単位の間もなく我を忘れ喜怒哀楽を放つときもあります。

そしてそんなとき、OQでボロボロのソウゴが放ったセリフを思い出すのです。

 

みんな基本的に何かしらに必死。いや、必死でなくゆるく生きてる人もいるかもしれませんが、何かのために戦ったり守ったり、懸命になったことはたぶん1回はあると思います。大事な面接、健康診断の結果、ギッチギチのスケジュール、目的地までの近道などなど……なんか全体的に大人な内容になってしまいましたが、まぁそんな感じ。

 

その何かのためにやってきた、やってきているという事実を受け止めるということが大事だと思います。大小とか重要性で自己的にはかるのでなく、まず「おおそうなのか」と把握すること。そこから「じゃあ自分はこうしようか?何ができるか?」を問うことで前や未来を見る勇気が生まれるのかもしれません。あの作品はそう教えてくれたように思います。

否定することは、簡単です。でもやり方を間違えると他人も自分も傷つけてしまう。これは本当に反省せねばならぬことで、気をつけねばと思います。だからそうする前にまず、何がありおこったかを見る力をつけよう。そう思えた夏でした。