海に焦がれる碧い書斎

感想、考えたことの記録

シャザム!/ヒーローを通じた少年の成長物語

 

そういえばマーベル系列はちょいちょい見てるけどDCはほぼ触れてないことに気づいてそんな中タイミングあって見れたのが「シャザム!」だった。ちなみに字幕。吹き替えも気になったけど基本洋画は字幕派なので今回も字幕にした。ところでなんなんですかあの豪華な吹き替えキャスト布陣は

 

 

【ここからはネタバレを含みます】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年の成長を描いた物語

 

ヒーローものは主にマーベル関係のを良く見ていたので、そこからの印象になりますが「子どもがそのまま大人になった」ためにシャザムになりたての行動は見ていてニヤニヤしたりヒヤヒヤしておりました。その中でも自分の能力がわからずひたすら試して且つ動画にあげるのは強烈では。

考えてみたら魔術師からこれといった説明や指導があるわけでもなく、単純に能力を授かった(もちろん能力を得る直前とても大切なことを言ってたわけだけども)だけなうえ、いわゆる直感で理解するスタイルでもない。結果、変身の解除方法を得るのにも時間がかかり超人能力の代表と言える「飛行」が使えるのがかなり後なのも印象的でしたね。  

 

この能力を把握しきれないゆえに見ててウワァするもののビリーは単純に楽しんでるあたり「ピュア」なのは間違いないのだなぁとも。

超人能力にいい意味で振り回されず、親友フレディをはじめとする家族との関わりあいぶつかることでビリーの心の成長がわかりやすく描かれたと思います。

 

デウスとシャザムの対比

 

映像作品では「対比」の演出方法でその作品の旨味が変わると私は思っているのですが、

今回は能力家族、2つの対比があったんではないかなーと。

 

能力においてはシャザムとサデウスも基本的なところは変わらず(雷、飛行、怪力など)仮面ライダーみたいだとも思いました。もちろん、サデウスはあくまで利用されてる上に大罪を操るしシャザムはド派手な衣装がつくという違いはありますが。

最終決戦でも、サデウスとシャザムは対になるように動くことで、それぞれ「家族」に特別な思いを持つ同士という(ベクトルは違うけど)のがはっきり出ていたように思います。

 

 

家族といえば。

ビリーは里親やその家族という血の繋がらない他人とも愛され家族でいられることに対し

デウスは血が繋がっている人(兄、父)と全く心が通えず愛されることもなく年を重ねた。

 

 

デウスがビリーの家に入ったとき、家自体をいい雰囲気と褒めたにもかかわらず兄弟の存在を知った途端悪態をついたり、家を破壊することなくあくまで侵入する程であったところにある種の「家族への固執」があったように感じます。そのあたりはサデウスの人間味が感じられて、良かったなぁ。

 

 

 

というわけで、作品単体としてみると非常にわかりやすくDC系列を把握してない人でも楽しめました。おそらくアレはアクアマンを意識したネタだよね?という場面もあったので後々確認しようと思います。

今回映画館へ足を運んだことで他にもみたい作品が増えたし楽しみが増えました。

 

 

そういえば

ビリーの兄弟たちが変身しなくても割とチートな気がしなくもなくもない。